まもなく4歳になる長男と2歳になる長女へ

 近い将来、彼らを育てるという時期は終わり、親として子離しをしていかなければならないだろう。そして、そのうちに彼らも子の親になるかもしれない。そうなったときに、「わたしたちをどんな思いで育てていた?」と聞かれても、きっとすべては思い出せない。だから、文章に残しておきたいと思う。

 父親として、長男が誕生してからの一年は、ほぼ何もしてあげることができなかった。その子が2歳になる前に生まれた長女とは、鳥が卵を温めるように胸でぬくもりを感じながら一緒に過ごした。まもなく2歳になる長女は、夜いっしょにベッドで寝ようとするとき「パーパ!」といって胸に登ってきて一時ハグされてから母親の枕元に向かう。

 今年4歳になる長男は、兄としてよく妹を助ける。長女が保育園へ通い始めた頃は、長女のいる部屋の扉の前で長男が心配して名前を呼ぶ姿が見られたと保育士の先生に教えてもらった。兄弟姉妹のいない筆者としては、その話を聞くだけで兄妹とはよいものだと思う。同時に、兄妹が同じ保育園に通えた幸運を有り難く思う。

 兄妹ともにまだまだ小さい彼らだが、想像していなかったほどに人の話をよく聞き理解する。自宅で妻にあれこれと説明する父の姿を、2歳だった長男が身振り手振りを交えて真似する姿に、妻は説明がまったく頭に入ってこないと苦笑していた。3歳になると「(なんとかなんとか)なんだよねー」と、いつか父の言ったことを、そのまま反復する姿に驚かされた。

 彼らに教えられるまでは、子どもはそのうちに人として交流できるようになるものなのだろうと考えていた。だが実際には、試しに人として普通に話しかけているうちに、いつの間にか対等に話ができるようになった。いま思えば「子供だから」と決めつけず、特にこれといった考えなしに話しかけてよかったと思う。

 初夏の夕方の空をみて、長男が「パパお空がきれいだよ!」と教えてくれた。この言葉に驚いて空を見た。筆者が母親に教えてもらったきれいなものも夕日だったなと思い出した。


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