5歳と3歳の耳コピー合戦

 子育ての定番である絵本の読み聞かせは頻繁にしてあげたと思う。とにかく公設の図書室(図書館というレベルの建物ではないもの)が自宅から歩いていける距離にあったことが何よりも幸運だった。図書館で文字が読めない頃から10冊借りて実際に読むのは2、3冊といったところ。図書館で借りた絵本がいつもどこかしこに積み上がっている家で子供たちは育ってきた。

 そのような環境にあったからうまくいったのかわからないが、5歳の長男はひらがなを楽しそうに読み上げるようになった。話しているときの流暢さとくらべて読み上げの不器用さに学んでいくことの道のりの長さを感じる。同じ保育園のなんとかちゃんはカタカナが読めるんだよ。と、おしえてくれる。きっとかすかな対抗意識があるのだろう。お相手が女の子なので、けっこう微笑ましい。

 2018年9月30日(日曜日)びっくりして起き上がってしまうほどの強い風が吹く夜となった。この台風と同じ日の出来事として長男が注目したカタカナをふたつ記録する。ひとつは「カリキュラム」。学校教育の基礎のようなことを父親である私が机で学んでいるところへ長男がやってきて、僕、読めるよ。と言って読み上げたのがこの言葉だった。

 幼児期の子育てには教科もなければ、カリキュラムもない。実際には、幼児教育を専門に学ぶとそんなんことはないのだろうが、それを専門にしていない親からすると、幼児教育には型がないイメージがあって困るのではないだろうか。子供と遊んだり、子供に何かを教えることが好きな部類の親に含まれると筆者は思っているが、そうではない親御さんもいるだろう。現実問題として時間が取れない方も、きっとたくさんいらっしゃる。雑記としてひとつ書いておくと、江戸時代の父親が、一子相伝でどのような教育を施したのか。これについて書いている新書が多くある。一冊読んでいただけると幼児教育に興味がもてる。

 もうひとつのカタカナは「キーワード」。これは5歳の長男が机にやってきて、何をしているの?と書きものをしている隣で質問したのに答えたとき、私がつかってしまった言葉だ。5歳にわかるわけないだろう語句を不注意でつかってしまったときに、5歳をあなどるなかれ。5歳の可能性に開眼しろと言われているようなことは起きる。「なにかひとかたまりのことを考えたり説明したりするときに、要点になる言葉を『キーワード』というんだよ。たとえば、きみ(長男5歳)のことを説明しようと思ったら、まず『5歳』という言葉がキーワードになる。」そのような説明をした。この説明を聞き終わって5歳は満足そうに遊びへ戻っていった。

 さきほどの江戸時代の一子相伝による教育の話に戻るが、正岡子規と渋沢栄一翁の子供の頃の、5歳ぐらいで論語を諳んじる場面について見たり読んだりしたことはないだろうか。4歳から5歳にかけては、耳で聞いた言葉を文字にせず、そのまま自分のものにできてしまうことに驚く。江戸時代の幼児教育は、聞くことが基本だったのか、文字を読んだのかわからないが、声に出していたことは確かだろう。3歳の長女はきっと兄の真似で、この耳コピー発声がとても得意だ。お父さんにされた注意はすべて私のものと言わんばかりに同じ言葉で兄を注意する。5歳男子からしたら、これはもうたまらなく嫌なのだが、仲良くしろ、相手は3歳であるから許してやれと言われて、なんとかしのいでいるようだ。戦いごっごに誘って、たまにうっぷんを晴らしているようには見える。お願いだから仲良くできる兄妹でいてください。

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